原点はラジオにある。
僕らは、深夜ラジオを聴きながら勉強する「ながら族」の元祖ともいえる年代である。
放送業界に進むきっかけとなったのも、毎日放送ラジオ(大阪)の深夜番組「MBSチャチャヤング」を聴いたことからだった。
谷村新司がパーソナリティを務めるその番組に、“さよなら初恋”という失恋のお便りを読むコーナーがあった。
あるとき、ひとりの女の子からの手紙。
・ ・・彼との楽しいデートの終わり。
「さよなら、またね。」と言って彼を見送り、歩き出したその直後に、急ブレーキの音。
振り返り、駆け寄ると、人だかりのなかに彼が倒れていた。
病院へ運ばれたが、彼はまもなく息を引きとった・・・。
谷村さんも泣いていた。聴いている僕の目にも涙があふれた。
このお便りが、単なる悲しい手紙としての記憶にとどまらず、感動の手紙として、僕の人生を決めるきっかけとなったのは、彼女がそんな悲しい目にあったにもかかわらず、がんばって前向きに生きている、という手紙の内容だった。
僕は、とても勇気づけられた。
元気をあたえられた。
そして、大人になったらみんなに元気をあたえる側になりたい、
と思った。
あれから30年・・・。ラジオの夢はかなわず、テレビの世界で24年。
僕は勇気をあたえてきただろうか。
僕はいま、テレビの取材対象として、いちばんおもしろいのは「人間」だと思っている。
いまだに誰も超えられない番組、そして僕に大きな影響をあたえたテレビ番組として、「夜はクネクネ」(毎日放送)がある。
局アナの角さんと伸郎さん(原田伸郎)が街をぶらぶら歩いて、出逢った人たちと会話する、あの番組である。
それまで、「テレビにラジオのようなあたたかさなど無い」「テレビに人間なんて描けない」と思っていた僕の概念を根底から突き崩す番組だった。
二人が出逢う人たちは、僕らのまわりにもいる何の変哲もない庶民であり、特に出演するバリューがあるわけでもない。でも、たまたま出逢った人たちと話をしてみると、実にさまざまな人生の機微にふれることができる。
映画やドラマが色褪せて見えるくらい、現実の人生に感動させられた。
人間まだまだ捨てたもんじゃない、と思った。
そして、テレビも・・・。
おもろい町のおっちゃんやオバチャン、元気に走り回るこどもたち、汗を流してがんばっている人、失恋して涙を流している人、笑顔のかわいい女の子、夢に向かって歯を食いしばっている人・・・・・
そんな「輝いている庶民がいちばん美しい」と思う。
どんな俳優にも負けない演者だと、僕は思う。
ラジオに未練のあった僕が、テレビでやっていこうと思うようになったのは、この番組がきっかけである。
いろんなテレビがあっていいと思う。
街の情報も知りたいし、世の中の出来事も知りたい。
バラエティで笑いたいし、ドラマやスポーツは感動をあたえてくれる。
でも、僕が本当にやりたいのは、庶民の人生の機微にふれて
感動するテレビ。
世知辛い時代にあって、なんか癒されるテレビ。
そんなテレビができればいいなぁ、と思う。
テレビの映像を中心に、ラジオやイベント、印刷物などが立体的にからまって、地域の人たちが元気になるような企画をやりたい。
それをプロデュースすることが夢であり、かつて僕が「チャチャヤング」を聴いて人生を決めたように、僕の番組を見て感動した人たちがテレビを志してくれれば、と思う。
(2002年11月 ある人へ宛てた書簡より)
「こどもたちが、夢と感動をもって生きていける社会の実現」
さまざまなプロデュース活動の基盤として、こどもたちが安心して楽しく豊かに暮らしていける社会の実現に少しでも貢献できたら・・・と願っています。
テーマは「100年後のこどもたちに何を残せるか」
大人が、それぞれの持ち場持ち場で楽しくワクワクして生きることで、こどもたちは将来に夢と希望を見出すことができます。
ラッキードロップスは、地域の魅力を引き出すプロデュース活動を通じて、未来のこどもたちに何を残せるか、を考えます。